ドクターサイトさん、
(アメブロの私のニックネームです)
返信ありがとうございます。
先生のブログに興味があり、海外のカイロを知りたく、読者登録させていただきました。
自分も徒手治療を極めたいと思って、日々外来の整形外科に勤めて治療を行っていますが、海外のカイロは日本の治療技術よりも、結果が出やすく、効果は高いのでしょうか?
日本の技術に対しての先生なりの考えがあれば、教えて頂ければ幸いです。
【以下:朝倉】
○○ 様、
こんにちは、ご返信遅れましたことをお詫び申し上げます。
また、ご質問頂きましてありがとうございます、嬉しく思います。
ご質問の内容からとても熱心で患者さんのために日々自己を磨いてらっしゃる姿勢がよく伺えますね。
私の14年足らずの臨床経験からの範囲でしかお答えできませんが、ご参考程度に納めて頂けたらと思います。
【質問】
海外カイロは日本の技術よりも結果が出やすく効果が高いのでしょうか?
【回答】
海外のカイロとは発祥の地アメリカということでよろしいでしょうか?
その前提でお話させていただきますね。
私が当時ニューヨークへ留学しようと思った一番の目的はカイロプラクティック発祥の地でカイロプラクティックとはどのように認識(認知)され、どのような業務(保険システム)が成り立っているのかを知ることでした。
あとは単純にニューヨークの摩天楼がカッコイイと思ったからです(笑)
余談ですが、なぜ「摩天楼」という響きにあこがれたのか、今分かりました!!
中学生の頃、BOOWY、氷室京介の熱狂的ファンであり、その歌詞の中にNYや摩天楼がでてきたからだ・・・ww
結論からで申し上げますと技術的には日本人の技術の方が優れていると思います。
それは他の工業技術でも言えることですが、日本人の方が手先が器用で繊細な感覚を持っているからと解釈しています。
ですから米国と日本の治療技術云々の問題ではなく、人の素養が大きくかかわっているのではないかと思われます。
実際に、米国へ留学し多数のカイロプラクターの施術を受けたりみてきましたが、いずれもアジャストメント(矯正)が大雑把だという印象ですね・・・。
もちろん、繊細なカイロプラクターもいるのでしょうが、「多くは」といった感じでしょうか・・・。
技術開発(技術の発見と発明)という点では、当然米国がカイロにおいては発祥の地であるため、本家本元の方が優れているように思われがちですが、一概にそうとも言えないように思います。
その理由は上記にあげた「大雑把」だけではなく、アジャストメントを受ける側(欧米人と日本人の体格、骨格の違いなど)の繊細度も違うため、必ずしもダイナミックなアジャストが日本人に合うかと言えば、合わないといったこともあるかと思います。
私がいた時も米国人DC(Doctor of chiropractic)から何度も治療を受けて、故障した日本人や訴訟問題になっていたケースもありましたし、実際に被害者とお会いしたこともありました。
私も某大学教授のHIO(ホールインワン)を受けてしばらく動けなくなりました。
それはそれは素晴らしくダイナミックでした!!
これはHIOの否定ではなく、私には「合わなかった」ということです。
次に結果や効果についての回答ですが、これはアメリカの技術だからではなく、個人的な能力によると思われます。
そもそも、人を治癒に導いているものは何なのか?というとても深い哲学を考察しなけれなりません。
因みにカイロプラクティックは「science(科学)・art(芸術)・philosophy(哲学)」の3つがあってはじめてカイロプラクティックといえます。
カイロプラクティックといいますと多くはテクニックのことだと思われがちですが、もっとも大切な要素は哲学にあると私は考えております。
この哲学を表現するものがアートであって、哲学のないアートは単なる技術に過ぎず、技術だけでは治癒力を発揮させることができません。
その効果を裏付けるものが科学なのではないかと最近は思っています。
一般的に考えますと・・・
科学的根拠(エビデンスのある方法) があって、それを行う技術があり、それに伴う結果が出る。といった流れでしょうか?
もし、その考察が真実であれば、科学的根拠に従い誰がやっても同じ結果(効果)が出なければなりませんが、現実はどうでしょうか?
では、何故あなた(多くの治療家たち)は必死になって今も尚究極のテクニックを求め続けているのでしょうか?
これがダメだからあのテクニック・・・。
このテクニックはここが限界だ・・・。
もっと効果的なテクニックあるはず・・・。
などなどです。
しかしです・・・そんな究極のテクニックなど存在しないのです。
イコール結果を完璧に保証するテクニックなどないとも言えます。
私は以下のように考えてます・・・
先ず「はじめに哲学ありき」と私は思います。
自分自身の中に、自然界の絶対的法則に従った哲学が理解されて、はじめてこれを表現するための技術が生まれます。
この哲学をベースに技術として表現されたものがアートなのではないかと思います。
そしてこのアートによって自然治癒力が発揮された結果が「効果」となって、それを科学と呼ぶのではないかと思う訳です。
このような考察から「効果」というものは技術ではなく、あなた自身の哲学が、どうのように技術に加わるかによって、アートの表現力が変化し、結果として「効果」が違ってくるのではないかと思います。
もっと分かりやすく言えば、同じ技術の治療法、同じ患者、同じ症状、同じ環境でも、あなたの意識が変われば、反応結果が異なるはずです。
何故いつも同じようやっているのに効果が「出る時」と「出ない時」があるのかといった疑問も、こんなところにちょっとした意識のズレ(微差)が影響しているのではないかと思います。
ですから我々治療家は、治すこと(効果)を求めるのではなく、自己の潜在意識をいかに顕在意識でもって体験し、腑に落とし、その感覚を再び同様に再生することが出来るようになることが治療家としての役目であるのではないかと思います。
私自身もそうでしたが、これまでに沢山の治療法を勉強して来ましたし、私自身が原因不明の首の激痛に悩まされ、それを自己の意識で克復できた体験があり、そこからの感覚を活かして、今の潜在意識と結びつける施術を現在行う中で、そのように感じているからです。
しかし、ここで重要なのは、知識だけでも技術だけでも、スピリチュアルだけでも、イメージだけでも、どれをとっても不完全であります。
そのためには、何か一つ自分のデフォルトになる技術が必要であり、その一つを徹底的に納得いくまで習得し極めて、それを基に本質とは何かといった視点で他を見ていくと何と無く共通点が見えて来るのではないかと思います。
私もまだまだ迷える子羊状態ですが、技術だけを求めてそこに縛り付けられるようなことはなくなりました。(テクニック・ジプシー)
答えになっているかどうか分かりませんが、自分自身の頭の中を整理する意味でも、とてもいいご質問をいただいたことに大変感謝しております。
また、何かありましたらご質問頂ければと思います。
ありがとうございました。
背骨から運命を創る
カイロプラクター朝倉穂高
~あなたの筋肉は真実を語る~